楽しかった夏休みももう終わる。。。
この絶望に立ち向かいたいのは山々だが、とりあえずは夏休みの楽しい思い出を振り返ろう。
僕は先日までシンガポール旅行を楽しんでいた。
そこでの体験は、別記事にて語らせてもらいます。
今回は、移動の飛行機で観た映画「アラジン」について語りたい。
アラジンのストーリーを詳しくは知らないが、気になったので観てみたんだ!
ミュージカル仕立てに挿入歌で盛り上げつつ、ハラハラしながらテンポよく進む物語。
特に「ホール・ニューワールド」の感動は実写だからこその美しさがあった。
まあそんな映画評論家的な感想はやめておこう笑
僕が気になったのは、魔法のランプで願いを叶えてもらうという設定についてだ。
盗人のアラジンは惚れてしまった王女様に見合った男になるため、ランプの魔神ジニーに頼んで自分を一国の王子にしてもらう。
アラジンは「アリ王子」として振舞うことを望む中、どちらが本当の自分なのかについて王女に問われる。
アラジンはもちろん、 王子としての自分が真の自分であると嘘をついた。
それを聞いたジニーは、
魔法は魔法。本当の自分は見透かされる。
と彼に忠告した。
もちろん、どうせばれるから正直に話しとけって意味でもある。
しかし、ジニーは素のアラジンを友と思っているからこそ、魔法で作った虚像「アリ王子」ではなく、ありのままの彼で王女様にアタックした方が良いと思ったのだろう。
王女様が元々惹かれたのは、アラジンであって、アリ王子ではないのだから。
これは現実世界でも言えることではないだろうか。
自分をより良く見せようとする振る舞いなどは、かえって周囲の人間からの信頼を失う。
素で振舞う時の態度によって、その人の評価は定まっていく。
特に親しい間柄だとそうだ。
ビジネスの場など、キッチリとした距離感があればこそ表面上を取り繕う意義は大いにある。
でも、そのような距離感を保っていたままではまともな友情、愛情は生まれないだろう。
「何当たり前のこと言ってんだ」
と思うかもしれない。でも、意外とこの当たり前のことができなくて悩む人は多い。
日本でストレスや孤独を感じる人が増えてきているのって、この距離感の切り替えが下手くそになったからではないだろうか。
ネット、特にSNSが発達し、自分の正体を隠したまま思ったことを言える。
そんな社会が成立してしまった。
ここでは、相手の顔色なんて見なくて良い。てゆーか見えない。
だから、自分の素顔が見られていないネットでは、好きなだけ他人にバズーカを撃てる。
ツイッターではネガティブな内容が拡散しやすい一方、本名の分かるFacebookではポジティブな内容が多いのがその現れだ。
そして現実世界で人と向き合うとき、(それがたとえ友人同士のコミュ二ティであっても)自分がどうみられているのか気にして仮面をかぶる。
人に嫌われるのが怖いから。
しかし皮肉なことに、人に嫌われる恐怖心から仮面をかぶると、かえって人に嫌われることにつながる。
このブログを通して何度か主張しているが、他人の気持ちを左右してやろうなんていうのはおこがましい話だ。
人に嫌われるかどうかなんて自分で決められない。
誰しも好かれることもあれば嫌われることもある。そういうもんなのだ。
そこで仮面なんて被ってみろ。
好かれたくもない人に好かれたら、その信頼を裏切らないようその仮面をキープしないといけない。
一方、予想外の人に嫌われる場合もあるが、納得がいかないはずだ。だって、ありのまままの自分を知りもしない相手に嫌われるのだから。
だから、魔法(仮面)に依存してはいけない。
仮面かぶって好かれたり嫌われたりするならば、逆に言えば素の自分でも好かれる場合があるということだ。素の自分が肯定される嬉しさは、仮面の自分が肯定される嬉しさとは比べ物にならない。
そして、どうせ嫌われるなら、納得して嫌われよう。それがむしろ自分の改善につながるかもしれない。
自分がどうこうできるのは、自分自身だ。
まずは自分の仮面を外そう。仮面こそが無駄なストレス・孤独を加速させているのだから。
そしたら全く新しい世界「ホール・ニューワールド」が見えるかもしれない。
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